裸体の七人が出会った。
エーゲ海を望むクレタ島の砂浜にて、互いがそこに在ると七人は気づいた。
遥か極東の島国にて、東西が国勢を決する合戦を繰り広げていた頃である。
ひとりは失意の男。東方の利益を掌中にせんと、野心を抱くも裏切られし者。
左の踝(くるぶし)を小波に撫でられながら。
ひとりは絶望の男。西方での勝利者でありながらも全ての財を奪われし者。
弛んだ腹の底に、ちくりとした痛みを感じながら。
ひとりは虚無の男。北東にて喝采を浴びたはずの演者でありながら、舞台を降ろされし者。
使わなくなった喉に、絡みを覚えながら。
ひとりは消失の男。この島の漁師にして、潮と波を読みきれず、自らの人生を閉ざさんとする者。
硬い掌を随分と湿らせながら。
そしてひとりは確かめに来た男。教皇の精鋭部隊を脱した、触れるだけで心を読めし者。
誰から触れる。その必要はない。そう、自問自答しながら。
そしてひとりは導かれた男。屈強なる武士(もののふ)にして、あらゆる物質を自在に念動せし者。
導く者はあいつだ。奴は誰だ。奴はなんだ。奴は。
そして、最後の一人は賢き者。黒い肌、大きな瞳、分厚い唇をした、その名はアーテル。彼にとって“距離”は意味を成さない。生存が許されるエリアであれば、いつでも瞬時にそこに在る。空間転移の男。
全世界の平和と安定。そんな理想を胸に秘めながら。
「全世界」それそのものが、当時において稀有なる発想だった。
七人は夕暮れと潮風に裸体を任せ、その偶然なる出会いを言葉なくいつまでも受け止めていた。もし画才のある者がその光景に立ち会ったのなら、必ずや筆を振るっていたことだろう。そんな、稀なる男たちの異景であった。
背中を向け、立ち去ってもいい七人だった。しかし、あてもない七人だった。だから導きと感じ、運命と思い込み、定められた結果と確信し、必然にまで満たされ、誰からもなくようやく声を発した。
「寒くなってきましたね」
「そうでしょうか」
「波が足首をくすぐる様です」
「お国はどちらで?」
「なぜ言葉がわかるのでしょうか?」
「あぁ。触れただけで、言いたいことを通じさせてくれるのですか」
「生まれついての、厄介な仕業です」
「まさか。どう受け止める。そんな魔術を」
「どうでもいいじゃないですか」
「あぁ。どうでもいいですね」
「災いをもたらす魔術ではない」
「むしろ暖かい。言葉もなく気持ちが通じるのは」
「それは」
「それは?」
「それは、やましさがないからだ」
「なるほど」
「こんな七人は、もうないだろうな」
「なるほど。なのか」
五日に亘る昼夜を、七人は砂浜にて過ごした。
一日目に、三人の人生が語られた。
二日目に、三人の人生が、やはり語られた。
三日目に、黒き者の人生が語られた。そして彼は最後にこう言った。「世界を見に行こう」と。
四日目に、七人は世界を跳んだ。地獄も極楽も、全てはこの世に在ってしまった。
五日目に、七人は肩を組んだ。
煌く星々のような五日間は、偶然なる出会いを果たした彼らを強く結びつけた。
その時代にあって、奴隷でしかない“黒き者”にも拘わらず、アーテルは六人を惹きつけた。彼の異なる力と、それによって身につけていた世界を知る知性。この二つが羨望を集め、やがてそれは崇拝にまで昇華していった。アーテルはそれまでの孤独を捨て、彼らと同盟を結ぶ。
「死をもってなお、我ら七人の盟約は生き続ける。そして賢くあろう。理想を理念に高め、この世の全てに平和と安定をもたらそう。我ら七人は見た。この世界のあらゆる戦乱を。狂気を。差別を。全て取り除こう。七人が倒れても盟約は生き続ける。賢き我らの盟約だ」
これが、「賢人同盟」の起こりである。
七人のうち、三人にあったのが「読心」「念動」「転移」といった、常人を超越した能力である。これを彼らは「異なる力」と自称した。
「異なる力」は賢人を名乗らせ、穏やかなる決起の源でもあったが、三人は残りの四人に対しても、裸体の出会いを尊重し、決して尊大な態度は見せなかった。そう、アーテルたちは知っていた。力ゆえに自分たちが孤独な存在であり、これから先は大多数である普通の人々の力を集めなければ、盟約の完遂は果たせないことを。打算的な気づきではあったが、アーテルの言葉はどこまでも静かで、その口元には薄い笑みが常に浮かんでいた。
賢人同盟の理念は、アーテルの理想と同一であった。長きに亘る試行錯誤の末、理念の達成にはある程度の財力、そして何歩も先に進んだ技術と先見がなによりも必要であるとの結論に至った。産業革命はまだ産声も上げず、その点において賢人たちの目論見は確かであった。
優れた技術者、発見者を囲い込むためには、世界じゅうに散らばっている彼らの歓喜をいち早く察知する“目”と“耳”が必要である。それには異なる力の利用が有効であり、理念達成の初手として、そうした力を持つ者の発見と確保が開始された。
最初の七人のいずれもが鬼籍に入る頃、新たな人材は招き入れられ、それと同時に行われていた財を得る仕組みもある程度は整備され、盟約の継続は確かなものとなった。
賊の退治、治安警備、金貸し、事業投資などによって、それなりの財を成した同盟は、それをもって優れた技術者や発見者たちを囲い込んだ。無論、彼らとの接触は、招き入れられた次世代の賢人たちが持つ、異なる力によって成された。
体制は整いつつあった。異なる力を持つ賢人。財を運用する賢人。武力を率いる賢人。これらの下に在る技術者たち、兵隊たち、代理人たち。まだ巨大な力ではなかったが、なによりも新技術の保有が、同盟に今後の成長と躍進を約束していた。
疫病が流行ればそのワクチンを供与し、欲する者がいれば新たな技術を携え現れる。独占した技術と権利、情報を更なる財へと変えた頃になると、今度はそれを狙う者たちから護るための“手”と、更に抜けがけするための“足”が必要になった。手は暴力を雇って賄い、足は新たな技術を惜しみなく投入することで、どこまでも遠くへ速く、賢人やその代理人を運んだ。
そして遂に、産業革命という名の爆発が起きた。大英帝国に誰よりも早く石炭を“黒いダイヤ”として紹介したのも、賢人たちの代理人だった。
列強の覇権争いの影にも、同盟は立つようになった。盟約を結んだ七人の理念は、既に形骸化していた。濁流のように流れ込んでくる富に、その時代の賢人たちは立っているのがやっとの有様だったからだ。
賢人たちの集いは、やがて街ほどの規模となった。影響力はユーラシアの東方にまで及び、新大陸においても早期の上陸が果たされ、礎を築くのに抜かりはなかった。
そして、自答し続けるのが賢人たる所以である。彼らはこれ以上の肥大化を懸念し、組織を全世界へ切り分けた。下部組織の誕生である。これらは支部が置かれた各国政府との交渉の窓口であり、必要があれば実力を行使し、場合によっては反政府組織に力を貸すこともあった。
「全ては同盟の利益のため」
それを合い言葉に、下部組織は最終的に七つ結成された。
全世界の平和と安定。理想と理念はそこにあったが、掲げられたそれはあまりにも抽象的で、どのような解釈もできた。賢人同盟が飛躍した科学技術と異能者たちを保持し、莫大なる財力で各国政府に計り知れない影響力を持った近代にあっても、二度の大戦は結果として起こってしまい、更にその背後に賢人たちの意図が含まれていたのは、最初の七人の穏やかなる盟約と比較して、皮肉としか言いようがない。
同盟は維持と存続を第一条件に活動する黒幕へと成り下がり、それと反比例してあらゆる力は増していった。
組織の肥大化は避けられ、大戦を通じて全世界への根を更に強固とした同盟だったが、二十世紀末、最大の叛乱事件に遭遇する。一九九七年、「真実の徒」の暴走である。
「真実の徒」極東は日本国を管轄する最後発の下部組織であり、その首長は一九七〇年代から「真実の人(トゥルーマン)」を名乗り、一九九七年当時においては真崎実という男が二代目の真実の人を襲名していた。
下部組織の主な役割は、対象の管轄国が賢人同盟の利益に反する経済、軍事行為をしないように監視することにある。それにも拘わらず、真崎は己の復讐心を制御することができず、そのブレーキは完全に壊れた。
真実の徒は同盟より与えられていた新技術と軍事力、独自開発したいくつもの新兵器をもって、日本国政府に主権の委譲を公に要求した。逆らう場合には、実力行使も辞さない。事実、首都をはじめとした各地にテロリズムの風が吹き出し、それはやがて嵐にまで勢いを増していった。
監視役であるはずの下部組織の暴発に、同盟本部は当面の静観を決めた。この決定には、初代真実の人の意思が色濃く反映されていたという。
真崎にとって、後のない戦いが始まった。ある程度の成果が出なければ、同盟からの粛清は免れない。意外なる静観であったから、彼は今更ながらに感情だけで駆け出してしまった愚かさを思い知った。やはり、もう後はない。
傭兵部隊を都内に派兵し、情念を共にした狂った怪物たちを放ち、自らは覆面をして恨み深い日本国民に目覚めよと絶叫する。
都心のある住宅街では、銃撃戦が展開された。怪物が子供の柔らかい肉を引きちぎった。狂気が少女の五体をバラバラにした。巨大な爆撃機が飛び立った。村がひとつ消滅した。たちまち、日本は五十年ぶりに戦場と化した。
狂気の中にあって、真崎は目の前に現れるであろう「誰か」を待っていた。それが、賢人の中の賢人、アーテルであれば、彼の人生は静かな幕引きができただろう。先代の「真実の人」であれば、恐怖に打ちひしがれながら滅んでいただろう。だが、前者は遥か中世の偉人であり、後者はザルツブルクの同盟本部で顎に手を当てたまま、不敵な笑みを消すことがなかった。
そして残念なことに、彼が憎悪の対象として挑んだはずの日本政府も、敵としてはあまりにも矮小な、五十年を経てなおも被占領国であり続けていた。
真崎は人生というレースの落伍者であった。彼は同盟に拾われる以前、白刃を振りかざし、その結果、国家権力によって自由を奪われ、放逐の後に残飯を漁る日々を送っていた。明らかに劣った者だが、その生命力は誰よりも抜きん出ていた。
初代真実の人が彼と出会ったのは、恵みの鍋の煙が立ち込めるある公園だった。他の浮浪者を出し抜き、より多くの汁を啜らんとし、それが発覚し列より追われた真崎の目は、まるで野良犬のような鋭さだった。真実の人が彼に全てを譲ったのは、あるいは気まぐれだったのかもしれない。また、この叛乱と暴走を予期していたのかもしれない。どちらにせよ、巨大な力を真崎は自分のためだけに使った。だからこそ、彼は個人によってその野望を阻まれようとしていた。
小さな歪みから、真崎の国家転覆計画は綻びを見せていった。個人の力を軽視したが故の失敗だった。国家を相手にしたが故の、見誤りだった。
気が付けば、ほとんど全てを失った真崎の前に、四人の姿があった。
一人は当たり前だった毎日を取り戻したい「念動」の少女。神崎まりか。
一人は奪われた命の弔いに、全てをぶつける「跳躍」の少女。金本あきら。
一人は可能性を追求し、怠惰な日々を打ち破りたい「読心」の少女。東堂かなめ。
そして一人は真実を見届け、真実そのものを知らんとする「ただ」の少年。八巻信長。
組織対国家だった図式は、だがこの終局において、個人対個人の決着を迎えようとしていた。無論、その背後には同盟の力が及ぼうとはしていたが、対する五人にとって、血まみれの死闘を首都より遥か離れた離島の地下で繰り広げる彼女たちにとって、目の前の「敵」を殺すことだけが、次の一歩を踏み出せる条件だった。
そして、少女たちは勝利した。それは人数の賜物でもあった。真崎は、最初と同じく最後までひとりだった。四対一は、あまりにも絶望的な差だった。
だが、勝利者たちにも犠牲はあった。金本あきらは、神崎まりかと八巻信長を滅び行く離島から逃すべく、最後の力を出し切った。その傍らには東堂かなめの姿もあった。もう未来のいらない二人だったから、取り戻したい者とやり直せる者に明日は託された。
こうして、真崎の叛乱は幕を閉じた。武装テロによる数々の犯行は、日本全土にあらゆる爪痕を残した。狂気に陥る者、耳を塞ぐ者、失われた故郷に愕然とする者。それは、前大戦以来の深い傷となった。
誰しもが立ち直らんと足掻き始めた頃、発端である真崎の姿がとある廃工場にあった。決戦に敗れ、命を拾い、逃れてきた挙げ句の醜態であった。彼は惨めさに終止符を打つべく、こめかみにリボルバーの銃口を当てる。
外から、彼を非難する市民の声が聞こえた。わかっている。罵られ、恨まれ、憎まれる己であることを。だが、弱き者の遠吠えに甘んじられるほど、敗北は彼を変えてはいなかった。
「真実を解せん黄色いブタ共め……貴様らに私を罵倒する権利は無い! それができるのは、私と神崎まりかをおいて他にはおらん!」
人差し指が、引き金を圧した。だが、弾丸は発射されることなく、真崎の手から黒光りするそれは失われていた。
彼の眼前に、赤い目をした白い髪の少年の姿があった。二度目の出会いであったが、互いにその記憶は乏しかった。少年は、自らが「三代目・真実の人」であることを告げると、いつの間にか手にしていたリボルバーを真崎の額に向けた。
なぜ、それは、私の自決道具。
混乱のまま、真崎実の脳漿が薄暗い床を汚した。
「戦いは終わらん……それが真実だ」
少年は、気取っていると思いながらも、そう口にした。「終わらん」の部分が、どうにも自分らしくない。しかし、真実の人をやるというのは、つまりそういった可笑しさを伴うのだろう。ならば、慣れなければ。
それから、七年の歳月が過ぎ去っていった。
裸体の七人が掲げた崇高なる理念は、もうない。現実が理念を上塗りしてしまった。非現実とも言えるほどの技術と発見と異なる力が、皮肉にも現実に強く加担していた。
だが、抗う赤い目があった。始まりはまたもや個人からである。彼は理念と理想を片手に、仲間たちとの繋がりを片手に、挑む。全ての組織へ、挑む。三代目を名乗る恥を背負い、跳ぶ。
そして、彼を阻む者も放たれた。二〇〇四年。物語は再び始まる。
「はじめに」おわり
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