[二十八・真実の言葉] …1  まりか達は筑波での事件を解決した後、東京に戻っていた。  茨の元で更に強化された武具を購入すると、彼女達は都内の様子を伺うべく新宿へと向かった。 「真実の徒の作戦も、かなり食い止めたわね。」  戒厳令が布かれているため、ここ新宿駅東口前を歩く民間人は皆無に近かった。  かなめは何も表示されていないアルタヴィジョンを見上げると、意味もなくそんなことをつぶやいてみた。 「まだ四つ、情報は残っているわ…。」 「どれから手ぇつけるんや?」  かなめとあきらの促しに、まりかは思考を巡らせてみた。 「一つ目の…テレビ評論家の事件を片付けよう。」  これまで解決したいずれもが、都外で発生した事件であった。まりかはなんとなく、都内での事件を解決してみたくなっていた。 『この街に…みんなをもどさないと…。』  一つ目の情報とは「テレビに出演している評論家の内、何人かの意見が、四日前を境に真実の徒よりになりつつある。この変化は怪しい。」  というものであった。まりか達は真実の徒関連の報道特番を一通りチェックし、一番怪しいと思われる番組を放送している新聞社系列のテレビ局へと向かった。 …2  テレビ局は、外部こそ厳戒な警備体勢が敷かれていたが、一度中に入ると現場の喧燥のせいかそれも緩んでおり、まりか達は何もとがめられることなく局内を探索できた。 「中に入ると…誰も怪しまないのね。」 「うん、まりかちゃん達は奇麗だから、タレントか何かだと  思ってるんじゃないのかなぁ…。」  信長の答えにも今一つ納得しきれないまりかであったが、この不用心が敵の罠とも思いがたかった。 「かなめ、報道番組はGスタジオでやってるそうや。」 「わかったわ。収録が終わって、  スタジオから出てくる時に、心を読んでみる。」  まりか達はGスタジオを見つけると、扉を少しだけ開け中の様子を伺った。  スタジオでは「報道特番・真実の徒とその陰謀」という番組の収録が行われていた。  テレビ局所属の在籍歴だけは長い中年アナウンサーが司会を務め、その脇には新人の頼り無さそうな女性アナウンサーがアシスタントについていた。  コメンテーターは犯罪心理学を専攻する大学教授、フリージャーナリストが二名、そしてコメントをするにはあまりにも無関係なアイドルが一名である。  番組は真実の徒絡みの事件を紹介した。 「退屈な番組やなぁ…。」  元来、報道番組に全く興味のないあきらにとって、スタジオ内で行われている出来事は退屈極まりないものであった。 「あんな作りでも視聴率は取れるらしいわ…最近は真実の徒って言葉をつけるだけで、テレビの視聴率も雑誌の発行部数もまるで変わるそうじゃない…。」  あきらの興味を差し引いても、番組が雑な作りであることは、かなめの目から見ても明白であった。 「自分に関係無いうちは、みんなの関心も無責任だしなぁ。」  信長は自分のことを振り返りつつ、そうつぶやいた。  退屈なVTRを流し終わると、番組は出演者によるディスカッションへと移行した。その中でもあるジャーナリストのコメントがまりか達の関心をひいた。 「僕は真実の徒を、どこかの新興宗教まがいの団体と同一視することは乱暴な論理だと思いますよ。」 「そ、そうですか?」  微量ではあるが、真実の徒を擁護するその発言に司会者は戸惑った。 「ええ、真実の徒の目的とする所は自分達の利益追求などではなく、僕達日本国民に何かを問いかけることだと思うんです。  人食いは増えすぎる人口に対して、警察署への襲撃は治安維持力に対して、  他の行動にもこの国のいびつな資本主義崇拝に対する警鐘の意味が込められているんじゃないでしょうか?」 「しかし、行動に一貫性が無さ過ぎる! それに真実の徒の代表、真実の人だったっけ…  彼の発言は典型的なカルト系リーダーのそれと非常に酷似しておる、あの集団は単なる殺戮集団だ、警鐘などという表現は不適当極まり無い!」  興奮し、反論したのは初老の大学教授であった。 「そんなことはありませんよ、教授も参加していたかつての学生運動と真実の徒のやっていることは似ているじゃありませんか、  むしろその背景が見えてこない分、冷静に客観視できる真実の徒は支持を集めているんじゃないんですか?」  そのジャーナリストは、三十代前半の理知的な風貌の男性であった。しかし弁舌する際に常に浮かべている薄笑いは、まりか達の不快感を煽った。 「人肉など食べてはおらん! 無礼だぞ!」 「そんなこと、大した問題じゃありませんよ。いいですか?  僕たち、いやむしろもっと下の年代は今の日本の閉塞的状況に絶望しか見いだしていないんです。  そんな子達からすれば、真実の徒の漫画じみた行動は、状況に風穴をあける痛快な集団とうつっている、僕はそう思いますよ。  だいたいあなた達の世代が革命に失敗しなければ、こんな状況にはならなかったはずです。」 「こんな論争は不毛ですよ…。」  そうつぶやいたのは、二十代後半のジャーナリストであった。身体は痩せており、不健康そうな男性である。 「真実の徒の団体性のことを、僕たちがテレビなんかで討論しても始まらないんです…あなた達は何もわかっちゃいない…。」 「じゃあ君は何がわかってるっていいたいんだ!?」  薄笑いを消し、ジャーナリストは同業者であるこの青年に食ってかかった。 「国家も警察も真実の徒の捜査に何等成果を上げていないんです…  であれば僕たちは真実の徒とこれからどうつき合っていくか、そこを考えるべきじゃないんですか?」 「はぁ?」  発言の趣旨が理解できなかった司会者は、ディレクターに指示を仰いだ。 「あいつね…。」  かなめは確信し、うなずいた。 「そうかな? 僕は隣の奴もあやしいと思うけど…。」 「目を見ればわかるわ。」 「そうやな…つよしと同じ目や、あいつ、洗脳されとるで。」  かなめとあきらの確信をよそに、ジャーナリストの論理は次第に加速していった。 「真実の徒がこの国を戦後に戻すと言うのなら…僕たちはその世界でどう生きていくかを考えなければいけません。  そういう討論なら、公共の電波を使う価値があると思いますよ。」 「あいつらの目的が達成された後のことを考えろと言いたいのか!?」 「はい。」 「わっはっはっはっはっ! 下らん、下らな過ぎる! 連中が目的を果たすのには戦争を仕掛けなければならないのだぞ!  それ程の武力があるとでも思っているのかね!」 「えー、議論が白熱しておりますが、番組もそろそろお別れの時間となってしまいました。  真実の徒については現在のところ、何もわかっていることがありません、ですが真実は徐々に明らかになっていくでしょう。  ではまたの機会に!」  司会者はディレクターの指示により、無理矢理番組を終わらせた。  スタッフ達は撤収作業を始め、出演者達は控室に戻るため、スタジオから出ようとした。 「かなめ。」 「ええ。」  かなめは見学者を装い、スタジオを出ようとする痩せたジャーナリストに接近した。 「何ですか?」 「いいえ、先生のファンなんです。握手させてもらえませんか。」 「あ、ええ。」  かなめは男の手を取ると、その心を読んだ。 …3  ジャーナリストの心を読んだかなめは、スタジオ外の廊下で待つまりか達と合流した。 「かなめさん、どうだった?」 「彼が真実の徒だったら、私に握手なんてさせない…間違いないわ、あの人、真実の徒に洗脳されている。それもかなり薄いレベルで。」 「まりかちゃん、どうする?」 「どうしてそんなことをするのかわからないけど…かなめさん、あなたの能力で…。」 「洗脳を解くことは可能よ。だけど無駄ね。」 「そうやな、何人洗脳されてるかわからへんのや、洗脳された全員を捜すのもホネやし。」 「ええ、それに洗脳されていない評論家達も大差ないわ…  真実の徒のこの作戦、多分そんなに影響力もないし、仮に私たちがこれから行動をおこしても、洗脳された人間がテレビでしゃべってしまった以上、手遅れだと思う。」  あきらとかなめは、対処より予防が求められる今回の事件に対し、興味を失っていた。 「でもさ、これから洗脳される人を守らないと、取りかえしのつかないことになっちゃうよ!」 「どういう意味や?」  信長のいつになく真剣な反論に、あきらは怒気を込め対応した。 「うまくは言えないんだけどさ、今はいいよ、まだ影響力の薄い人達しか洗脳されてないみたいだし、  でもこれからはどうだろう? パソ通なんかでも、普通の人が結構真実の徒を支持し始めているんだ。  例えば凄く有名な人が、あんな風にしゃべり出したら、どうなるかわからないよ?」 「その有名人を特定できへんやろ、こんボケ!」 「それはそうだけど…。」  予防するにしてもその方法の見当がつかないため、信長の反論は意見として成立しそうにもなかった。 「洗脳の方法と…やった奴が誰なのかがわかれば、阻止のしようもあるんだけど…。」 「まりか…。」 「信長くんの言うとおり、このまま放ってはおけないわ。」  まりかの言葉に信長は頷いた。しかしあきらもかなめも事件に対しての興味を取り戻すことができなかった。  彼女達は誰が指示するまでもなく、TV局内から外に出た。 「あれは…。」  まりか達は、テレビ局から一キロメートル程離れた場所に浮かぶ立体映像を認めた。それは、黒い頭巾を被った真実の人であった。 「国民諸君! 立ち上がる日は近いぞ! 君達を守るはずの国家権力は、未だに私を検挙することはおろか、居場所を掴むこともできない!  次に殺されるのは君の番かも知れないぞ? 自分の身は自分で守るしかないのだ!  我々に抵抗するも良し、ふ抜けた現行政府に実力行使するも良し!」  映像は、おそらく映写機が壊されたのであろう、途中で途切れた。 「ああやってアジテートするあたりはさすがね…。」 「かなめさん…。」 「急いだ方が良さそうね、さっきのテレパスで、洗脳された場所のヴィジョンは掴めてたから…。」  かなめの提示した意見に、あきらは呆れた苦笑いを浮かべた。真実の徒との抗争は、あきらとかなめにとって、すでに日常化しようとしていた。  まりか達は、薄暗い倉庫に跳んだ。 「いかにもやな…連中もつくづく芸があらへん。」  倉庫には外国製のダンボールがいくつも山積みされており、その見慣れた光景にあきらは肩の力を抜いた。  あたりの地形を確認するとまりか達は歩を進めた。  収容施設が壊滅したせいか、この倉庫は民間のそれを改造しただけの様であり、真実の徒の苦しい事情が窺えた。  途中、数度の交戦こそあったが、戦力も手薄であった。 「この作戦、やっぱり重要じゃないみたいね…敵の数も少ないわ。」  返り血を浴びたグローブを拭きながら、かなめはそうつぶやいた。 「うん…。」 まりかは、かなめの言葉に力無くうなずいた。 …3  評論家洗脳作戦を指揮するハーミオンは、地下四階の自室にいた。 「武藤まりかは、じきこの部屋にやってくる…オルガ様でも苦戦したあのサイキに、私は勝つことができるのだろうか…。」  執務用の椅子から立ちあがると、ハーミオンは親指の爪を噛みしめた。 「だが、やらねばならない。テレパスを使うサイキがいる以上、完全な隠密作戦は取れないのだ…  であれば連中より早く作戦を完遂させるか、倒すしか無い…。」  ハーミオンの身体は恐怖に震えていた。 「なまじ…理性などあるからこうなる。」  そうつぶやくと、ハーミオンはテーブルに置いてあるヘッドギアを手に取り、それを被った。 「ふははははははは! 戦うぞ!祖父の恨みが私に力を与える! それすなわち血の力なり!」  ヘッドギアを被ったハーミオンの表情には狂気がいっぱいに広がり、昂揚した彼女は腰に装着されたサーベルを引き抜くと、それを力の限り振り回した。 「!?」  ハーミオンの部屋に突入したまりか達は、サーベルを振り回す少女に言いようの無い違和感を抱いた。。 「来たか! 私は真実の徒、ハーミオン! この作戦の指揮者だ!」 「…。」  今までの敵に無い、作られた人為的な戦意をまりかは感じた。 「こいつ…。」 「なんなんや…。」 「テレビマスコミとは暴力! そこに真実を注入するのが私の任務だ!  評論家などという霞を食べる泥棒は、いずれその全てが真実の言葉を語り出す!  愚民共はその言葉にやがて耳を傾けるであろう…そうすれば、最終作戦はより効果を増す!」 「最終作戦…?」  敵の設備の窮状と、最終作戦という符号がまりかには妙に一致して聞こえた。 「そうだ! この国は自ら抱える愚民の手によって滅ぶのだ! 邪魔はさせんぞ武藤まりか!」  まりかはリボンを引き抜くと、それを構えた。ハーミオンは戦闘服を着ているものの、オルガ程の力は感じられなかった。 「つぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」  能力を込めたリボンを、まりかはハーミオン目がけて振った。 「くぅ!」  ハーミオンは、まりかの攻撃をプロテクターの装着されている肘で防いだ。しかし、その背後にかなめが出現した。 「いやぁ!」  かなめの拳は、ハーミオンの腹部を直撃した。 「ぐ、ぐふぅ…。」 「その程度の力で私たちに立ち向かおうなんて…笑わせるわ!」  確かに、ハーミオンの戦闘力はこれまで戦った誰よりも劣っていた。  しかし人為的に操作された戦意は衰えることなく、強い殺気をまりか達にぶつけていた。 「まだだぁ…まだ終わらんぞ…。」 「あなたに恨みはないけど、抵抗するんなら…。」  まりかはリボンに能力を込めた。 「私はある…。」 「え…?」 「私の祖父は大戦前、貴様の祖母に殺された…。」 「な…。」  その言葉によって、まりかの戦意は削がれた。 「まりか! 作戦や、耳貸したらあかん!」  あきらはそう叫ぶと、バットを振り降ろした。ハーミオンはそれを避けることもできず、ガードこそしたが衝撃のため地面に崩れ落ちた。 「私の祖父はイギリスの諜報部員だった…しかしこの国で貴様の祖母に惨殺されてな…以来私の家は貧困の底に喘いだ…。」 「そ、そんな…。」  まりかはうろたえてしまい、戦うことができなかった。 「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ! 祖父の無念はこの私が晴らす! 食らえ、真実の音を!」  ハーミオンは立ち上がると、両肩にセットされたスピーカーから大音量の「真実の世界」を流した。 「う、うわぁ!」 「な、なんやこの音は…前のCDより…。」 「ふはははは! 真実の人が直々に作曲なされた真実の世界、ボリューム2だ! その効力は前作を遥かに凌ぎ、  貴様達の脳を刺激する!」  激しい嘔吐感と、不快感、そして殺意をまりか達は感じた。 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」  あきらは、まりか目がけてバットを振った。 「あ、あきらさん…。」  まりかはあきらの一撃を左肩に食らった。 「くぅ!」  かなめはあきらの手を取ると、心理治療を施した。 「音源を…何とかしないと!」  流れ続ける曲は、まりか達の体力を奪い続けた。  かなめの能力で同士討ちはなんとか避けられたが、このままでは戦闘不能になるのも時間の問題である。 「おばあちゃんが…この人のおじいさんを…。」  まりかはいまだにハーミオンの言葉にショックを受け続けていた。 「死ねぇ!」  ハーミオンは、右手に装着したスライサーを発射した。 「ぐぅ!」  円形の刃物が、かなめの腹部に命中した。 「このぉ!」  信長は吐き気を堪えながらレーザー砲を発射した。しかし狙いが正確につけられる訳でもなく、光の束がハーミオンに命中することは無かった。 「つぅ!」  あきらの空間転移拳により、かなめはハーミオンの側面に出現した。彼女はハーミオンの肩をフックすると、そのまま身体を投げ跳ばした。 「うぐぅ!」  地面に落下した時の衝撃で、ハーミオンの両肩に装備されたスピーカーは破壊された。 「し、しまった…。」 「音源さえ立てば…あなたなんてどうと言うことは無いわ…。」  かなめは冷徹な表情のまま、ハーミオンの額に霞命砕を命中させた。 「あ、うぁ…。」  ハーミオンのヘッドギアは外れ、彼女の戦意は急激に低下した。 「な…?」  あきらは、怯えるハーミオンを意外に感じた。 「ヘッドギアで…戦意を高めていたのね…。」  彼女に肉体を越えた戦闘を強制していた道具は、もうその効力を失っていた。長時間の戦闘は、完全に彼女の体力を奪っていた。 「あ、うぁ…死にたくない…。」  ハーミオンは、自分が足元から泡と化すのを感じていた。 「真実の人…私はまだ戦えます…チャンスを…。」  しかし、戦闘力の無くなったハーミオンは、もう腹まで泡と化していた。 「おじいちゃん…仇が討て無くって…ごめんね…。」  かなめの足元には、ハーミオンだった泡が広がっていた。 「まりか…。」  あきらはまりかの肩を叩いた。 「戦いが長引けば、こういうのもあるってわかってるんだけどね。」  まりかは精一杯の微笑みをあきらに向けた。 「おばあちゃんだって、きっとこんな気持ちを乗り越えて戦っていたんだもの…いつまでも落ち込んでいられないよ。」  祖母がサイキであった事実は、まりかの心に一つの変化をもたらせていた。 [二十九・ガリーナの笛] …1  その少女は住宅街を一人歩いていた。現在の東京には、夜間外出の自粛令が発布されており、この街にも人気は無かった。 「まぁ…。」  少女は、車に跳ねられ死んでいる犬を見つけた。 「可愛そうに…車に轢かれたのね。」  死体を抱え上げると、少女は懐からダーツの矢の様な物を取りだし犬の頭部に刺した。 「グゥ…バャルルル…。」  犬は痙攣を起こし、蘇生を果たした。しかし目は赤く輝いており、口元からは大量のよだれが滴り落ちていた。 「よかったぁ…るるるん…生き返ったのね。」  少女は優しい笑みを浮かべると、犬を抱えたまま立ち上がった。 「…?」  背後からのクラクションが、少女の鼓膜を震わせた。 「バカヤロー! 道のド真ん中につっ立ちやがって! 死にてぇのかてめぇ!」  車を運転していたのは、二十代前半の品の無い若者であった。若者は、少女の抱いている犬を認めた。 「な、なんだ…犬の死体…? あんたのかよ?」 「死んだけど…いま生き返ったのよ。」 「え…。」  少女の手から、犬は車めがけて飛び出した。 「う、うわぁ!」  身体が半分腐りかけた犬が自分に襲いかかってくるのを、若者は現実として受け入れられなかった。  即座に車の中に頭を引き、窓を閉めようとしたのだが、相手の動きは遥かに俊敏であり、犬は窓から車内に突入した。 「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」  しばらくした後、口元を血塗れにした犬が車の窓から出てきた。犬は少女に駆け寄ると、尻尾を振った。 「お前はおりこうさんなんだね…。」  少女は犬の頭を数度撫でた。 「もっといっぱい食べて…大きくならなくっちゃね。」  そう言う少女の顔には、残忍なる笑みが浮かんでいた。  少女の名はガリーナ。真実の徒のエージェントにして動物愛護精神の持ち主である。 …2  ハーミオンを倒し、評論家洗脳作戦を阻止したまりか達は、 「街から野良犬や烏が急に減った。また、そうした動物に襲われた人間がいるらしい。」  という情報の調査を始めた。 「真実の徒がリバイブの技術を持っている可能性はあるわ…。」  新宿中央公園で、まりか達は久美子から新しい武器を受け取っていた。 「リバイブ、なんやそれ?」 「蘇生技術…死んだ人間や動物を生き返らせ、奴隷化することよ。」  久美子の説明に、あきらは天を仰いだ。 「なんや…今度はゾンビ相手にせにゃあかんのかいな。」 「そうかも知れないわね…詳しいことは、博士も私も知らないけど…。」 「でも野良犬や烏が減ったっていう情報…一致する面もあるわね。連中が戦力として動物を使う可能性だってあるわ。」  かなめの論評に、まりかはうなずいた。 「犬に烏…なんかこう、がたっとレベルが落ちよんな。」 「そんなこと無いよあきらさん。」 「なんや信長。」 「動物の身体能力や、感覚機能は人間以上の部分もあるんだ。  むしろ人間は道具を使えるから、他の動物から命を守り…。」 「えらそなこと抜かすな! 犬に烏やで、ワンワン、カーカーや、アホらしゅうて相手にしてられっかい!」  あきらの剣幕に、信長はすっかり打ちのめされてしまった。 「だ、だけど…昔の日本じゃよく野犬の被害があったって…学校で…。」 「そうだ…道具で思い出したんだけど…武藤さん、あなた達に頼みたいことがあるの。」 「え…?」 「茨博士の研究でどうしても必要なものが三つあるのよ。それが手に入れば、あなた達に究極の武器を作ってあげることができるわ。」 「わ! なんかいいな、そういうのって!」  久美子の提示したはっきりとした目的は、まりかにとって心地の良いものであった。 「…でね、まずは武藤さんのリボンに必要な布地の素材…  それから金本さんのバット用の金属、そして東堂さん用のグローブに必要な皮…場所はこのメモに書いてあるわ。」 「あの。」 「なに? 東堂さん。」 「この三つの素材って、久美子さんが集めるのは無理なんですか?」 「別にそうしても構わないんだけど…究極の武器を作るには、その素材をあなた達が自分の手に取って、  能力の伝導率の高いものを見つける方がいいのよ。」 「あぁ…。」  久美子の言葉に、かなめは納得した。 「だからこのメモの場所でも、素材はよく選んだ方がいいわ。  伝導率が百パーセントに近いもの程、いい武器を作ることができるから。」 「わっかりました!」  まりかは明るく返事をした。久美子はまりかの変化に、だがあまり気づいてはいなかった。  久美子はランドローバーで中央公園を後にした。 「さてと…どれから探す?」  まりかは、かなめが手にしたメモを見た。メモには、 「武藤さんのリボン素材…品川区シスター布地商  金本さんのバット素材…筑波合金研究所  東堂さんのグローブ素材…上野区成陽皮店」  と、書かれてあった。まりか達はまず、入手が容易そうな成陽皮店へと跳んだ。  いい皮を手に入れるため、店長との交渉は困難を極めたが、交渉に当たったかなめの根気が勝り、何とか伝導率九十二%の布地を手に入れることに成功した。  交渉が長引いたためか、辺りは夜になっており、人気は減っていた。まりか達は今日の宿を探すため、上野の駅前にいた。 「こうしてると、何か家出少女みたいね。」 「似たようなもんや。」  まりかとあきらのやりとりは、素人漫才の様でもあった。 「あ、かわいい!」  まりかは、路上でエサを漁る子犬を認めた。信長は子犬に駆け寄ると、それを抱き抱えた。 「夜間外出禁止令なんて、こいつらには関係ないもんな。」  まりか達はそれぞれ犬の頭を撫でた。 「動物はいいわ…悪意も善意もないから…。」  その声は、まりか達の背後からした。 「…。」  声の主が真実の徒であることは明白だった。 「でもそれを飼っている人間は良くないわ…  自分の都合だけで動物と接する…その子も捨て犬かしら。」 「ごたごた抜かさんと、真実の徒やろ・」  あきらはバットを引き抜いた。 「いま楽にしてあげるわ。」  その少女、ガリーナは懐からダーツを取り出すと、それを信長の抱えている犬目がけて投げた。 「キャワン!」  ダーツの刺さった犬は悲鳴を上げると絶命した。 「う、うわ…。」  犬は、うめき声を上げると息を吹かえした。 「グルルルルル…。」  犬の目は赤く発光し、無垢な愛らしさは野獣の凶暴さに変化していた。 「空間転移打撃!」  あきらの一撃は、狂犬を空間へと跳ばした。 「私はガリーナ…あなた達に動物の真実の姿を教えてあげるわ。」  ガリーナの背後には、数十匹の犬や烏の姿があった。そのいずれもが目を赤く光らせ、まりか達に敵意を向けている。  ガリーナは懐から横笛を取り出すと、それを静かに吹いた。横笛から奏でられる音色に操られる様に、動物達は一斉にまりか達へと襲いかかった。  狂犬の運動能力は予想を遥かに上回り、烏のスピードは集中力をかき乱した。  戦闘は、思った以上の苦戦をまりか達に強いた。 「はぁはぁはぁ…。」 「ワンワンカーカーやと思ったら…意外にやるやないか…。」 「不死のダーツはこの子達の身体能力を九十%まで引き出す…動物の力を甘く見たらいけないわ…。」  ガリーナはそうつぶやくと右手を上げた。すると、彼女の背後から再び数十匹の犬があらわれた。 「この計画を知った時…私は不安だったわ…だけど今は違う…こんなにたくさんの野良がいたなんてね…。」  右手を降ろすと、獣達は一斉にまりか達に襲いかかった。 「いかにこの街の人間がわがままかってことよ! 飼った動物の責任も取れない愚かな人間共!  私が復讐の手伝いをしてあげるわ!」  ガリーナは叫びつつダーツを投げた。道端にいる野犬は、次々と狂犬化した。 「武藤さん、キリが無いわ!」 「うん! あきらさん!」  あきらはまりかに促され、全員の手を取った。まりか達は空間へと逃れた。 「ふ…犬の嗅覚を甘く見ないことね…絶対に追い詰めてみせるわ。」 …3  ガリーナの襲撃から逃れた数日後、まりか達は武器の素材を手に入れるべくシスター布地商へと跳んだ。  しかし布地商は先日よりの戒厳令で店舗を閉鎖しており、結局まりか達は大崎にあるシスター布地商の倉庫を尋ねた。 「布地が見たい…?」  倉庫の管理人である中年女性は、怪訝そうな視線をまりか達にぶつけた。 「はい、お金ならあります。」 「うちら学生演劇をやってるんや、それで、衣装に使うんでどうしても欲しい布地があるんやけど。」 「だけどね、この間泥棒が入ったんだよ。」 「泥棒?」 「ああ、テロ騒ぎやらでこの辺も物騒なんだよ、どさくさまぎれの泥棒が多くてね、いい布地は大方盗まれちまったよ。」 「…それでも一応、中を見せてもらえませんか?」  まりかの言葉に、中年女性は渋々倉庫の鍵を渡した。 「なら勝手に見ていいよ。欲しいのが決ったら、あたしに代金を払いに来ておくれ。」 「ありがとうございます!」  まりか達は、倉庫の中に入った。そこには布地を詰めたダンボールが多数置いてあり、まりかは一つ一つ中を調べた。 「うーん…。」  数十点ある布地を、まりかは一点づつ調べた。その中には、伝導率が八十パーセントを越える物もあったのだが、まりかはそれを買うのを諦めた。 「なんだ、買わないのかい?」 「はい…ごめんなさい。」  まりか達は倉庫の外に出た。 「まりかちゃん、どうするんだい?」 「かなめさん。」  まりかは倉庫の庭につながれている、犬を指さした。 「えー? 犬の心を読めって?」  無言の促しの意味を、かなめは即座に理解した。 「うん…。」 「わかったわよ、やってみるわよ。泥棒の顔、覚えてるって言いたいんでしょ。」  かなめは半ばヤケクソ気味に、犬の頭に手をかざした。 「うぇ…。」  犬の思考はあまりに単純であまりに即物的だったため、かなめの読心は困難を極めた。 「真実の徒の工作員が…任務の途中、小づかい欲しさに泥棒をしたみたい…なんなのよ全く…。」  かなめは苛ついていた。 「かなめさん、大丈夫かい?」 「平気な訳ないでしょ…ホネやらメス犬やら…もう動物の心を読むのは御免よ。」  まりか達は、かなめの見たヴィジョンを頼りに泥棒をはたらいた工作員を追い詰め、電動率九十八%の布地を手に入れた。 「これよこれ、凄い伝導率だわ!」 「せやけど真実の徒は給料低いんかいな?」 「知らないわそんなこと。」 …4  最後の一品、あきらのバットに必要な合金を求めるため、まりか達は筑波合金研究所へと跳んだ。 「うちで開発してる新型合金が欲しい…?」  研究所の職員は、遺伝子研究所の時に比べると応対は親切であったが、まりか達を警戒しているという面では大差がなかった。 「ええ、お金だったら払います。どうしても欲しいんです。」 「お金を積まれたって無理だよ。」 「なんでや!?」 「ここで開発してる合金は、どれもメーカーに発表してない、いわば企業秘密に該当するものなんでね、いくらお金を積まれても、譲わけにはいかないよ。  ただ…既に発表しているものなら別だけど。」 「それでもええ。」  あきらは、研究所の職員のもってきた合金サンプルを手に取ると、伝導率を確かめた。 「どう?金本さん。」 「最高で七十%ってところや…。」  結局、まりか達は既成合金の入手を諦めた。時間は夜となり、彼女達は研究所の裏門に来ていた。 「本当にやるのかい?」  信長は、自信ありげに腕を組んだあきらにそう質問した。 「もうこの手しかあらへん。」 「だけど泥棒だよ。」  まりかも信長同様、あきらに忠告をした。 「金やったら置いてくさかいに…それに今は細かいこと言ってる余裕はあらへん。」  あきらはそう言うと、研究所内に跳んだ。 「どれや…。」  薄暗い研究所内の倉庫を捜索すると、それらしいサンプルケースをあきらは発見した。 「いけない泥棒さんね…。」  研究室内から聞こえてくるその声は、ガリーナのものであった。 「なんでお前が…。」 「保身のためからかしら、最近は協力者も増えてきたのよ。真実の徒の構成員は民間人の中にもいる…。」  ガリーナは静かに、ゆっくりとあきらの前に姿を現した。 「チ…。」 「泥棒には番犬で応えましょ…。」  研究室に、数匹のゾンビ犬が現れた。あきらは一旦体勢を立て直すため、意識を集中して空間に逃れようとしたが、なぜか身体は粒子分解されなかった。 「な、何で跳べへんのや…。」 「ここの研究員は、真実の徒の要請で色んな合金を開発しているの…中でも最高の傑作がこの部屋を覆うω合金。」 「なんやと…。」 「あなたのテレポーターとしての能力は、この部屋では使えないわ…。」 「まりか! かなめ!」 「叫んでも無駄…防音がしっかりとしているのよ。」 「へたれがぁ…。」  あきらはバットを引き抜くと、それに能力を込めた。 「たかが犬コロ…うち一人で充分や…。」 「おやり!」  ガリーナの笛の音で、ゾンビ犬達はあきらに襲いかかった。攻撃、防御技の大半は空間転移に頼るものなので、あきらは苦戦を強いられた。 「くぁ!」  あきらは犬に手を噛まれた。 「リバイバードッグの唾液には、人間の中枢神経を麻痺させる猛毒が含まれているの…うふふふ。」  ガリーナの言う通り、あきらは身体の自由を失った。 「空気圧縮爆弾!」  研究室の壁は、まりかの能力により壊された。 「あきらさん!」  まりかはあきらに駆け寄った。 「ばかたれ…来るのが遅すぎるで…。」  かなめはグローブをはめると拳でゾンビ犬の首を絞め、能力を流し込んだ。 「グルルル…。」  ゾンビ犬は、即座に気絶すると泡と化した。 「犬の思考は人間よりはるかに単純…意識を失わせるのなんて造作も無いわ…。」  ガリーナの姿は、既に研究室に無かった。まりかは以前久美子から買ったワクチンをあきらに注射した。 「これで平気だと思うけど…。」  まりか達はあきらを抱え、都内のビジネスホテルにチェックインした。あきらはベッドに寝かされた。 「う、うぅぅぅ…。」 「あきらさん…苦しそうだ…。」 「八巻くん。」 「なんだいかなめさん。」 「金本さんの面倒は任せるわ…武藤さん。」 「うん、あの犬使い、必ずここに来るわね…。」  二人のサイキは椅子から立ちあがるとそれぞれの武器を取り出した。 「ど、どうするんだい?」 「逃げ回っていても仕方が無いわ…こっちから仕掛けましょう。」  まりかとかなめは廊下に出た。 「あきらさんの面倒って…ど、どうすりゃいいんだよ。」  信長は足元に置いたレーザー砲に視線を落とすと、黒光りするそれに勇気を求めようとした。 「かなめさん、あの犬や烏は私が引き受けるわ…  かなめさんは操っているあの子を…。」 「いいけど…何か策があるの?」  まりかとかなめはホテルの廊下を歩いていた。 「うん、私の考えてることが当たっているなら…  かなり楽をして戦えると思うの。」 「武藤さん…。」  まりかの自信に満ちた表情に、かなめは頼もしさを覚えた。 「ギャー!」 「ひー!」  悲鳴は下の階からした。このホテルは四階建てのため、エレベーターが無かった。まりか達は階段で下のフロアーに降りた。 「う…。」  凄惨な光景であった。数十匹のゾンビ犬にゾンビ烏。そしてそれに襲われる宿泊客。平凡なビジネスホテルは血の海と化していた。  まりかは意識を集中した。 「え…。」  まりかが意識を集中した瞬間、犬や烏達は一斉に気絶をした。かなめは我が目を疑った。 「行きましょう、下にあの子がいるはずよ!」 「え、ええ…。」  二人のサイキは、フロアを降りながら次々と犬や烏を退治した。そしてやってきたのは一階、ホテルのロビーである。 「武藤…まりか…。」  ガリーナはほぼ無傷のまりかを認め、驚愕した。 「あれだけいたあの子達…無傷だなんてそんな…。」  まりか目がけて五匹のゾンビ犬が襲いかかった。しかしまりかは意識を集中すると、瞬時にそれら獣を気絶させた。 「音波よ…。」 「え…?」 「何かの本で読んだことがあったの…  犬や動物は、それぞれ人間が感知できない音波を聞き分けることができるって…私のPKは物質を動かす能力…  そうした音波を作り出すことだって…。」  まりかは再び意識を集中した。 「できるんだから!」  回りにいたゾンビ動物達が、一斉にガリーナに襲いかかった。 「ど、どうしてこの子達が!? おやめ!」  ガリーナは、手にしたムチで動物達に反撃をした。 「あ、あぁ…殺してしまった…私はなんということを…。」  悲観するガリーナであったが、手にしたムチは確実に動物の命を奪いつづけていた。 「あぁ…あぁ…!」  かなめは、ガリーナの背後から忍び寄った。 「完命流…水月砕…。」  ガリーナを投げ落とすと、かなめは能力を込めた拳を彼女のみぞおちに当てた。 「うぐぁ!」  その戦闘力の大半を、ガリーナは奪われた。 「こ、こんなに呆気無く…う、うぐぁ…。」  ガリーナの身体は泡となった。 「…。」  まりかは、軽い罪悪感を抱きつつ、ガリーナであったそれを凝視していた。 『武藤さん…どんどん戦い馴れしてる…特に銚子の一件以来、戦い方に迷いが無くなったわ…。』  そんなまりかをかなめは驚嘆の眼差しで見つめていた。 …5 「うぁ…。」  あきらはあくびをすると、目を覚ました。 「な、なんや…。」  あきらは床にへたり込んでいる信長と、泡化をはじめた犬や烏の死骸を目にした。 「あ、あきらさん…。」 「信長、どないしたんや。」 「は、はは…今回は役に立てたみたいだね…正直言って、レーザー砲のバッテリーが切れたときは、もう駄目かと思ったよ。」  信長はそう言うと、血にまみれた自分の手を見た。 「信長…。」  あきらはハンカチを取り出すと、信長の手を拭いてやった。 「おおきに…助かったでほんま。」 「あきらさん…。」 「見てしまいましたね、かなめさん。」 「ええ、しっかりと。」  廊下には、まりかとかなめがいた。二人はドアの隙間から、中の様子を伺っていた。 「うまくいくといいね。」 「ま、私にはどうでもいいことですけど。」  そう言いつつも、かなめの表情は穏やかなものへと変化していた。 つづく