[一・真実の徒]  真実を追求する男があった。男は幼い頃より抱いた疑問を、青年になっても決して忘れようとはしなかった。  しかし男の疑問に答えられるほど、彼をとりまく環境は成熟していなかった。したがって男はあらゆる社会にも適応することができなかった。  疑問を忍耐で処理するという方法を知っていた他の人々は、彼をなんとなく疎み、拒み、否定した。社会から拒まれた男はやがて純粋さを失っていった。  男は灰色の青年期に絶望していた。失敗続きの人生。理解されない疑問。流れていく時。絶望はやがて怒りへと変質していった。しかし、力なき怒りは敵を生むだけであった。  青年期の終わりにさしかかった男は、自己表現の場を文壇へと求めた。彼にとっては社会への最後の挑戦であった。  しかし、偏りと自己弁護に満ちた彼の作品は誰からも認められることはなく、挑戦は失敗に終わった。  男は失敗を真実の否定と受け止めた。  自らを追い詰めた彼に残った選択肢は、自分を否定し生まれ変わるか、自分を否定した社会に対し凶行を働くことのいずれかであり、彼は後者を選択した。  負の感情をぶつける道具は、ありふれた出刃包丁であった。  しかし雷雨の中、出版社前に凶器を持ちあらわれた彼の姿はありふれてはいなかった。  彼は即座に警備員に押えつけられ、その時抵抗した際の乱闘により、国家権力にとらわれることとなった。  男の凶行は新聞の片隅にひっそりと掲載された。多くの人々はその事件に注目をすることは無かった。  男は獄中で絶望の日々を送っていた。しかし彼は自分のとった真実追求の行動を決して否定しようとはしなかった。ある意味、彼は強靭な精神の持ち主でもあった。  出所後、男は住む家も追われ路上生活者となった。誰の支援もない生活の中、男は娯楽をある作業に求めた。  自分を追い詰めた社会と国家への反逆の筋書き。  稚拙さと綿密さが混沌としたそれは、一人の路上生活者の夢であり、実行されるはずのない妄想に終わるはずであった。 [二・選ばれた能力] …1  四月二十八日。東京。 「まりかってさ。」 「ん?」 「超能力とかって信じるほう?」 「え?」  武藤まりかはこの日、学校での授業を終えた下校途中、同級生の恵子と立ち話をしていた。 「今日テレビでやるのよ。すごそうなのよ。」 「ふーん、そう。」  級友の質問に答えるわけでもなく、まりかはそっけなく返事をした。 「恵子はそういうの信じるほうなんだ?」 「あたし? どーだろ?」  まりかは恵子の曖昧さがあまり好きではなかった。 「わたしは信じないけどな。」  相手の思考を待たず結論を出す。自分でもあまりいい会話の進め方をしていないと、まりかはいいながら思った。 「どうして?」 「インチキに決まってるもん。」 「決めつけちゃうんだ。」 「うん。」  そうきっぱりと言い切るまりかに、恵子は微笑みかけた。 「でもさー。もし超能力が使えたら面白いよね。」 「まぁね。」 「ね、まりかがもし使えたら、どうするの?」 「わたし…?」  どういった返事をすれば、この友人が一番驚くものかとまりかは考えた。しかし思い付くのは凡庸な発想のみである。 「学校行くのやめちゃうわ。」 「ふーん。」 「使える能力にもよるけどさ、うん。  わたし今までのガマン、みーんなやめちゃう!」 「どんな我慢!?」 「まず勉強でしょ、それから貯金でしょ、そんでダイエットも!」 「うわ、そこまで。」 「自分の体重だって自由にできるのよ、きっと。」 「そっかぁ。でも貯金は?」 「そりゃぁ恵子、お金なんてどーにだってなるわよ。」  まりかはそう言うと、人の悪い笑みを恵子に向けた。 「あははは。」  恵子は苦笑いで返事をした。まりかは知らずのうちに、会話に乗せられていた。 「で、そーゆー恵子はどうなのよ?」 「使えたら? そーだなぁ。」  まりかは恵子の横顔をながめつつ、その返事を予想してみた。 「あたし、悪いことしてる奴をかたっぱしからやっつけちゃうわ。」 「はぁ?」  級友の予想外の返事に、まりかの思考は停止した。 「ほら、最近へんな事件がいっぱいおきてるでしょ。」 「変なって…あぁ。空港で爆弾が爆発したやつとか?」 「そうそう! 犯人見つかってないらしいじゃない。  だからね、あ  たしそーゆー悪い連中をやっつけるのよ!」 「あっそう…。」  恵子の子供じみた発想を、まりかは表面的な態度ほど嫌っていなかった。  しかしわざと呆れた表情を作り、相手の会話に深入りしないすべを、十六歳のまりかは知っていた。 「じゃ、また明日!」 「うん!」  まりかと恵子は街で一番大きい交差点で別れた。 「超能力か…。」  まりかは恵子との会話を思い出していた。 「ほんと、そんな力があったら面白いだろーなー…。」  まりかは視線を数瞬泳がせた。 「でも恵子も子供よね、ほんとにそんな力がある人が、  テレビにな んか出るわけないのに。」  まりかは歩速を早め、自宅へと急いだ。 「早くかえんないと、賢治の番組始まっちゃうわ。」  まりかが口にしたのは、この時代、十代の少女達からもっとも支持をあつめている、あるアイドルタレントの名前であった。  交差点とまりかの自宅の間には、古い工場跡があった。  住宅街の中に寂しく存在するそれは、脇を通るだけでもまりかの恐怖心を充分あおるものであったが、登下校を急ぐとき、彼女はこの工場跡の敷地内を近道として利用していた。  門をくぐり、かつては庭として利用されていた雑草地を、まりかは恐怖を押さえつつ小走りに駆けて行った。  「え…?」  いつもは誰もいない見捨てられた工場。しかしこの日、まりかは確かに建物の中を蠢く影を認めた。 「なん…だろ…動いたよね…。」  恐怖は確かにあった。目の錯覚と思い、無視し、帰宅を急いでもよかった。しかし十代の好奇心がそれに勝った。まりかは足を止めると工場内を窺った。 「これで完璧だな。」 「そうだな、後はこいつを設置するだけだ。」  まりかの耳に、中年男性とおぼしき声が聞こえてきた。 「何やってるのかしら… こんなところで。」  工場の中から聞こえてくるそのやりとりに、まりかは耳を傾けた。 「一応テストをやっておくか。」 「テスト? やめとこうぜ。」 「なぜだ?」 「だって面倒くさいだろ。」 「だけどもし動かなかったら殺されるぞ?」 「殺されるのは嫌だな… よしわかった。テストしよう。」  緊張感に乏しい声であるが、会話の内容は現実離れしていた。 「殺されるって…。」  まりかは割れたガラスを避けるように、窓枠から工場内に身を乗り出し、中へと侵入した。  設備も撤去された工場内には、黒いスーツで身を包み、頭をストッキング状の布で覆った、二人組の男が、鉄道の自動券売機とおぼしき大量の機械に囲まれていた。 「あれって自動販売機…かしら?」  まりかは状況を全く理解できなかった。彼女の侵入に気づいていない男達は、自動券売機の操作を始めた。 「まず金を入れる。」 「入れる。」 「で、ボタンを押す。」 「押す。」 「切符が出る。」 「出る。」 「体温に反応する。」 「す、する!」  切符を手にしていた男は、それを空中へと投げた。飛ばされたそれは爆音を立てると空中で四散した。 「ヒュー…。」 「う、うう…。」 「テスト終了。」 「ああ、そうだな。」 「後はこいつを駅に設置するだけだ。今夜中にとりかかって…。」 「明日の朝にはあちこちで。」 「ボン! だ。」 「くっくっくっくっ!」  男達は大して確認できない互いの顔を見つめ合うと、腹を抱えて笑い出した。 「ひーひっひっひっ! 死ぬぞ! みんなボンだ!」 「幸せそうな奴も、落ち込んでるやつもみーんなみーんな!」 「ボーン!」  最後の叫びは二人同時に発せられるものであった。 「じょ、冗談よね…。」  まりかはいま見ている光景を信じたくはなかった。こっけいな二人組の決して笑えない会話。 「け、警察に…。」  緊張と混乱は、まりかの運動神経にも影響を及ぼしていた。  工場から一刻も早く交番に出ようと振り返ったその時、まりかは脇にある鉄パイプを数本倒してしまった。鉄とコンクリートの衝撃音は充分過ぎる音量で二人組の耳にも届いた。 「!?」 「なんだ!?」  男達の気配がそれまでのものから一変し、緊迫したものへと変化した。 「見られた!?」 「くそ!」 「くっ!」  まりかは混乱を本能で制御すると、踵を返し出口へと駆け出した。 「やばいよこれ…。」  出口まであと数メートルであった。まりかはドアノブに手を駆けようとした。 「え!?」  自分のはるか後方から追いかけていたはずの、黒い男の右手がまりかの細い腕を掴んだ。 『どうして!?』  左手が口を押えつけたため、疑問を空気の振動にかえることもできないまりかであった。 「ひゅう、危なかったぜ…。」  男はその腕力でまりかの自由を奪いつつも、安堵のため息をついた。 「さすがは早駆けの兄貴だ。」  二人組のかたわれが遅れてやってきた。その足取りは早駆けと呼ばれる男よりもはるかに鈍重であり、それは体型のせいとも言えた。 『同じようで…違う…。』  二人組の体型の違いをまりかは何故か冷静に観察していた。しかし次の瞬間、彼女の本能は直面している危機に体を使うことで反応した。 「こら! あばれるな!」 「そうだ! 見てしまったお前に運がないんだよ!」 「むぐぅ! ふぐぅ!」  まりかの体は、押えつける力に対して精一杯の抵抗をしていた。  両足は向こうずねに、空いている左肘は腹に、とにかく男の体にあらゆる打撃を加えていた。  しかしその努力は男にまるで通じなかった。  絶望の感情がまりかを襲った。 「どうする兄貴?」 「どうするって、殺るに決まってるだろ。」 「ああ。ソロモンに喰わせるか?」 「それもいいが…そうだ! 切符爆弾の人体実験ってのはどーだ!」 「名案だぜ兄貴!」 「チェックが完璧なほど、安心して任務に取り掛かれるってもんだしな。」 「ふぐぅ! ぐぶぅ!」  二人組はまりかの抵抗に動じることもなく、彼女を券売機の並ぶ部屋にまで引きずっていった。 『こ、殺される!?』  まりかは涙を流しながら、迫り来る危機に抵抗できない、自分の非力さを恨んでいた。 「よっし。」  二人組の片割れ、背も低く、正方形に近い体型の男は懐から硬貨を取り出すと、券売機から切符を買った。 「ひひひひ。」  男は愚劣な笑い声を上げると、切符を丁寧に自分のハンカチに包んだ。 「これは人間の体温に反応すると爆発する切符爆弾だ。  爆発力こそ小さいが、人一人殺めるには問題無い殺傷力をもっている。」  まりかは恐怖に満ちた表情で、ハンカチの中の切符を見つめていた。  一向に理解できない状況、あまりにも近い将来おとずれるであろう死。  まりかの思考は言語化されず、ただひたすら混沌としていた。 「さ、こいつを飲み込んでもらおうか。」 「飲み込みゃ丁度お前の腹のあたりで…。」 「ボン! てね…へへへ安心しろや、大して痛みは感じねーだろーからよ!」 「兄貴。」 「ああ。」  早駆けの左手がまりかの小さな口をこじ開けた。 「あぐぅ、ぐぁ。」  ハンカチに包まれた切符が、まりかの口へゆっくりと運ばれた。 『うぁ… あぁ…。』  まりかの下唇に切符が触れたその時である。爆音と同時に振動が部屋全体をゆさぶった。 「な、なんだ!?」 「ぐぁ!」  二人組は振動のため、その場に崩れ落ちた。  それと同時にまりかの自由を奪っていた力は皆無となった。 「くぅ!」  まりかはその場にしりもちをついてしまった。  しかし変転する状況を把握することなく、彼女は出口へと駆け出した。 「待て!」  早駆けが立ち上がった。 「だめだ兄貴! 一番奥のやつが爆発した!」  呼び止められた早駆けは、背後を振り返った。  相棒の言うように、券売機の一つが爆発により火を吹いており、その炎は他の券売機を巻き込みそうな勢いで燃えていた。 「故障かよ!?」 「あ、ああ、とにかく火を消してトラックに詰み込まないと!」 「く、くそ…。」  早駆け達はまりかの追跡を断念すると、消化器を手にした。 「ん?」 「どうした、日の丸。」  日の丸と呼ばれた片割れが、パスケース状の物体を拾い上げた。 「あいつの学生証だ。ついてるぜ兄貴!」 「そうだな!」 …2  工場から自宅まで、どれだけの時間が経過したのか、まりかにはわからなかった。  自室のベッドの上でただ震える彼女の耳には、消防車のサイレンがこだましていた。 「いったいなんなのよ…男が二人いて、キップが爆発して…。」  まりかは必死に状況を整理しようとしていた。しかし点として存在する情報は、一向に線になる気配をみせない。  それよりも恐怖の感情が思考を邪魔していた。 「と、とにかくわかってるのは、わたしは殺されかけたってこと…  運良く助かったけど…警察に届けないと…それとも母さんに相談…。」 「まりか姉!」  ノックもせずに、まりかの部屋に入ってきたのは、今年九歳になるまりかの妹、はるみであった。 「はるみ…。」 「賢治の番組終わっちゃったよ。」  はるみは嬉しそうに報告した。 「そ、そう…。」 「どしたの? 病気?」 「う、うん…。」 「…。」  妹は姉を懐疑の眼差しで見つめた。 「ごめん、お姉ちゃんちょっと気分が悪いの…。」 「ふーん、でもママがもう晩ご飯だって、言ってたけど。」 「あ…うん…食べる、食べるよ。」 「うん…。」  はるみは不満そうな表情を残したまま、部屋を出ようとした。 「あ、はるみ。」 「?」 「ビデオ、録画しといてくれてありがとうね。」 「うん!」  姉に誉められるという目的が達成されたためか、はるみは満面に笑みを浮かべるとまりかの部屋を後にした。 「ふぅ…。」  本来なら、妹に気を使うゆとりなど、今のまりかにはなかった。ため息をつくと、彼女はベッドから立ち上がった。 「ご飯食べたら、母さんに事情を話そう…  父さんは帰ってきてるのかしら…。」  まりかの父、博人は、土地鑑定士の免許を持つ不動産コンサルタントである。  若い頃より続けていた貯蓄と社会的信用を基盤にここ、東京は代々木に十年前、現在の家を手に入れた。  仕事においては堅実、家庭においては良き夫、良き父親でありたいと思うこの男性だが、家庭面においては必ずしも彼の願望は達成されていない。  母、永美とはまりかが生まれる二年前、見合で結婚していた。 「爆破事故…なんだここの近所じゃないか。」  食堂に設置されている大画面テレビで報道されるニュースを見ながら、博人はそうつぶやいた。 「まりかが小さい頃よく遊んでた、あの工場跡ですよ、父さん。」 「あぁ…。」  妻の説明に、夫は間抜けな表情で納得した。  妹は父母の会話など気にもせず、ただひたすら胃袋に夕飯を詰め込んでいる。そして姉であるまりかは…。 「…。」  戦慄の表情でテレビ画面を凝視していた。テレビでは先程まりかが謎の二人組に襲われた工場跡の、出火の模様を報道していた。 「ここ、茨製薬工場跡地では、現在も出火が止まらず、  必死の消防活動が続けられております。」  アナウンサーはありふれた口調で現場の状況をそう解説した。 「消防車だ!」  はるみは叫ぶとテレビ画面を箸で指した。 「こら、はるみ。」  母が注意をすると、はるみはつまらなそうに箸を膳に戻した。 「本田さん。」 「はい。」 「延焼の心配が無いということで一安心ですが、  現在、出火の原因はなにかつかめてますか?」 「はい、現在のところ出火の原因は何もわかっておりません。  ですがこの工場、二十年前に閉鎖された際、  すべての医薬品は下請け会社に引きとられたということで、  どうやら医薬品がもとでの出火ではないという模様です。  それと、警察からの情報ですと、出火直後、  不審なトラックが工場敷地内から出てきたという目撃談もあり、  どうやら放火という線で捜査は進められそうです。」 「そうですか。こちらの情報ですと、どうも放火である場合、  先日 の空港爆破事件とつながりがあるのではと見られているのですが。」 「トラックの目撃情報が事実だとすれば、その可能性は深まるでしょう。」  スタジオと現場のやりとりを、まりかは確信に満ちた表情で見つめていた。 『警察に届けよう…。』 「それにしても、ここのところ物騒よね…。」 「ああ。」  母と父は、まりかの確信をよそに、一般論を語り合っていた。 「空港の爆破犯もつかまっていないしな。しかし今時テロとはね。」 「ええ、昔はよくあったけど。」 「だけど手際からして、昔の連中じゃないかもな。」 「外国人って噂もあるんでしょ。」 「ああ日本は今、世界中から嫌われているし、金があるからな、  脅し目的の爆破テロがあっても不思議じゃないさ。」  博人はまりかにもわかりやすい様に、そう説明した。 『あぁ…でもあいつら日本語がうまかったから、  外国人じゃないわよね…。』  計画者と実行犯が必ずしも同一国籍である必要性はない。しかし十六歳のまりかには表面上の事象しか理解することができなかった。  ましてやつい先程まで直面していた非日常的出来事の当事者でもある、分析にも限界があった。 「まりかは遅刻しそうなとき、よくあそこを通るんでしょ?」 「え? あ?」  突然母から話題が振られたので、まりかは困惑した。 「う、うんまぁ。」 「よかったわね、事故に巻き込まれなくって。」  しかしそう言う母の口調は、どこかまりかを責める様でもあった。 「そ、そうだね。」  まりかは適当にはぐらかすと、中断していた食事を再開した。 「あしたはゴールデンウイークの初日よねぇ。」  母は突然話題を切り替えた。あまりにも突然にである。父の表情が瞬時に曇った。 「わ、悪いな… この連休、ずっと仕事が入ってるって…。」 「わかってますけどねぇ。」  母はむくれた表情を作ると、視線をはるみにうつした。 「おやすみなんでしょ! ね、パパ!」 「すまんはるみ、それにまりかも…この埋め合せは夏休みにきっとする。」 「えー!」  はるみはあからさまに不満をあらわした。父、博人は事態の悪化を悟った。 「そうだ、今年の夏は外国に連れて行ってやろう。」 「ガイコク!」 「いいの? そんな約束しちゃって。」 「ああ、今世話をしているお客さんが旅行代理店の社長さんでな、  いろいろと安くしてもらえそうなんだ。」 「へぇ… 素敵じゃない。」 「ガイコクってどこどこ!?」  はるみがけたたましく、あおり立てた。 「エジプトなんかはどうだ?」 「エジプト…。」 「面白いぞはるみ。ピラミッドやスフィンクスがあるんだぞ。」 「ピラミッド!? すごいすごい!」 「ゴールデンウイークでケチに国内旅行なんかしても仕方が無い、  第一どこも混んでる、駅なんて切符を買うだけでも一苦労だからな。  だがエジプト、一面大砂漠、文明の発祥地。ロマンがあるぞぉ、うん。」  博人はオーバーなアクションでエジプトを表現した。 「ロマンロマン!」  はるみの機嫌はすっかり直ってしまった。 「だからな、パパを許してくれるか?」 「許す許す!」 「エジプトかぁ、楽しそうよねぇ…。」  永美はそうつぶやくとまりかに視線を移した。 「ごちそう様…。」  ついに会話に参加することなかったまりかは、暗い表情で立ち上がると自室への階段を上がって行った。 「まりか…。」  永美は洞察の目でまりかの後ろ姿を追っていた。 「まりかはエジプト、嫌いか?」  博人は間抜けにつぶやいた。  自室に戻ったまりかは、ベッドに体を投げ出した。 「外国なんて行けないよ…あの事件警察に届けたら、  きっとゴタゴタするんだから…。」  父の脳天気さを決して嫌ってはいないまりかではあったが、今回ばかりは悲観主義が彼女の精神を支配していた。 「あの二人組がすぐ捕まればいいんだけど…もし逃げてたら…。」  まりかはつい先程直面していた死の恐怖を再び思い出した。 「う…。」  恐怖は体を震わせた。体験したことは無い、だが少女の充分過ぎる想像力は、腹の中で爆弾が破裂する感覚を再現していた。 「…。」  まりかは机の引きだしを開けると小さなお守り袋を取り出した。 「おばあちゃん…まりかを守って下さい…。」 その行為は、幼い頃からまりかがやっていた、危機に直面したときの儀式でもあった。しかし今回のそれの必死さは、高校受験以来のものである。 「おばあちゃんのお守りを持ってなかったから、  あんなのに巻き込まれちゃったんだ…ごめんね、おばぁちゃん。」  支離滅裂な論理ではあるが、まりかが非日常を受け入れるにはこう考えるより他になかった。 「まりか、ちょっといい?」  扉を開け、目に洞察を込めた母が入室してきた。 「母さん。」 「…。」  永美はまりかのベッドに腰を降ろした。 「どうしたの? まりか。」 「う、うん…。」  思考は整理されたものの、母にあの事件をどう説明していいものかとまりかは考えた。 『どう言えばわかってもらえるかしら…。』 「学校で何かあったんでしょ?」  母の推理は的確ではあった、だが正解ではなかった。 「あ、あのね今日、帰りに…。」  まりかがそう言おうとした直後のことである。ドアの呼び鈴が鳴り響いた。 「あら…。」  母の注意は呼び鈴へとそれた。その音は、ボタンを押す人間の性格をあらわす様に、何度もうるさく鳴っていた。 「こんな時間に誰かしら。ちょっとごめん。」  母は立ち上がると部屋を出て、玄関まで降りて行った。 「…。」  まりかは言い知れぬ不安を胸に感じ、母の後について行った。 「どちら様ですか?」 「武藤さんの…お宅ですね。」  その声は低く重く、そして威圧を感じさせた。まりかにとって聞き覚えの無い声であった。母は鍵を開け、扉を開いた。 「どちら…!」  母の表情が戦慄へと変化した。  扉の外には、身長二メートルを超える、全身深い体毛で覆われた男が立っていた。両手には二門の重機関砲を手にしている。 「ひ…。」  男はうめく永美の背後に立つ、まりかの姿を認めた。 「うううううううう! 俺の名はソロモン!  人食いソロモン! グワァァァァァァ!」  咆哮を上げ、ソロモンは引き金に指をかけた。二門の重機関砲は轟音とともに弾丸を打ち出した。 「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」  とっさに身を伏せたため、永美とまりかは弾丸によりその体を破壊されることはなかった。  しかし玄関は弾丸の嵐により無残な姿となり、あたり一面には煙が立ち込めた。 「グルルルルルル…。」  ソロモンは不気味なうめき声を上げ、煙が晴れるのを待った。すると背後から黒ずくめの二人組があらわれた。 「どうだソロモン。」 「殺ったか?」  早駆けと日の丸の二人である。 「わからん…弾が当たれば死んでいるはずだ。」  ソロモンは冷静に答えた。しかし彼のあまり大きくない頭脳は、機関砲の特性である、反動による銃身の跳ね上がりまでは計算していなかった。  煙は晴れたが、そこにまりかと永美の死体はなかった。 「く!」 「ガキのクセになんて冷静な!」  恐怖に怯える母の手を引いたまりかは、居間までやってきた。 「な、なんなのよ。」  永美はただ怯えていた。 「どうしたんだ!?」 「ママ!」  博人とはるみが居間へとやってきた。 「じゅ、銃を持った人が…。」 「じゅう?」  博人には、当然理解できることのない状況であった。 『さっきの連中だわ…。間違いない。』  馴れているとは言えない、だがまりかにはこうした状況に対しての判断力が確かについていた。 「どこだ!?」 「きっと奥だ!」  ソロモン達の乱暴な足音が居間へと近付いていた。 『わたしを殺すためにやってきたんだ…このままじゃ…。』  博人は受話器を手にすると、プッシュボタンを三回押した。 「くっ!」  まりかは意を決すると、居間の扉を開け廊下へと出た。 「まりか!」  母の叫びは、だがまりかの足を止める結果とはならなかった。 「いた!」  廊下に飛び出したまりかの目前に、ソロモン達三人の姿があった。しかし触れ合う距離ではなかった。  まりかは踵をかえすと、裏口へ向かって走っていった。 「逃がすか!」  ソロモン達はまりかの後を追った。   …3  まりかは交番に向かって走っていた。 『むちゃくちゃだよあいつら、警察に届けないと…。』  代々木駅前、目的となる交番がまりかの視界に入った。 「よかった!」  交番の中にいる二人の警官の姿が、安堵の感情をまりかの胸に走らせた。 「え!?」  叫び声と機関砲の轟音。安堵の象徴である国家権力の小屋は、一瞬にして煙に包まれた。 「グォォォォォ! 俺はソロモン! 人食いソロモン!」  ソロモンの持つ機関砲は、交番を瓦礫とするのに十秒とかからなかった。 「こ、交番が…。」 「ふぅぅ、スーっとしたぜ。」  ソロモンは笑みを浮かべると、瓦礫に向かって歩き出した。 「いただきまぁす。」  腰をかがめたソロモンは、弾丸でバラバラになった警官の遺体を、その大きな口の中に入れた。 「バリバリムシャムシャ。」  ソロモンの夕食姿はまりかに正視できないものであった。 「く、くぅ…。」  瓦礫の中、重傷を負った警官がピストルを引き抜きながら立ち上がった。 「グルル…?」  警官の死力を振り絞った一撃は、確かにソロモンの胸板に命中した。 「ば、ばかな…。」  しかしソロモンは何事もなかったかの様な表情を浮かべると、警官の命を銃底の一撃で絶った。 「ぐぁ!」 「ソロモン! 夕飯は後だ! あの小娘を殺れ!」 「ぐぶぅ…俺に命令するな…。」 「ひ…。」  血にまみれた口で反論するソロモンの表情に、早駆けはおびえた。 「く、くそ…。」  まりかは三人のやりとりを見届けることなく、公園に向かって走り去った。 「兄貴! 小娘が!」 「わかってる! ソロモン!」 「ああ、わかっている。ゲップ…。」  ソロモンはゆっくりと立ち上がった。 『ソロモンを連れてきたのは失敗だったかも知れねぇ…  騒ぎが大きくなりすぎちまう…  かといってこいつがいねぇと完全殺人はできねぇし…くそぉ!』  早駆けは自らの判断に後悔をしていた。  まりかは夜の街を、ただひたすら走っていた。 『殺されるだけじゃない…食べられる…どうすればいいの!?』  公園にたどり着いたまりかは、すぐに公衆便所に入った。 「はぁはぁはぁはぁ…。」  呼吸を整えたまりかは、ポケットからお守りを取り出した。 「おばあちゃん、助けて…わたし殺される…。」  その声は涙声となっていた。 「き、来た…。」  三人組が公園にやってくる足音が、まりかの耳に鳴り響いた。彼女は覚悟のつかない死の恐怖を、全身で感じていた。 「ここに間違いないんだな?」 「ああ…匂いがする…小娘の乳臭ぇ匂いがな。」 「そうか…。」 「あそこだ。」  心の底からの笑みをソロモンは浮かべた。 「公衆便所か?」  日の丸の問いに、ソロモンは返事をせず、流れ出るよだれを拭いた。 「デザートにしちまっていいんだな。」 「ああ、だが残さず喰えよ、遺体はお前の胃袋に完璧に収めるんだ。」 「言われずとも、グヒヒヒ…娘の肉はやわらかいからなぁ…。」  三人は電灯が照らす公衆便所めざして歩を進めた。 「死ねぃ!」  ソロモンの機関砲が火を吹いた。その圧倒的な火力は、小さな公衆便所を交番と同様の瓦礫に変えた。 「いゃぁぁぁぁ!」  瓦礫の影から、悲鳴を上げるまりかが飛び出した。 「いた!」  早駆けは身構えると、素早い動作でまりかの前に立ちはだかった。 「う!」 「逃げようったってそうはいかねぇのさ。」  早駆けは余裕の声でそうつぶやいた。 「手間かけさせやがって! ここで死んでもらうぜ!」 「し、信じられねえ…。」  まりかと早駆けのやりとりをよそに、ソロモンは一人驚愕していた。 「どうした、ソロモン。」 「俺は匂いめがけてこいつをぶっぱなしたんだ…  逃げられるはずがねぇ…。」 「ふん…。」  ソロモンの疑問に、日の丸は敢えて返答をしなかった。 「ソロモン! 殺れ。」 「あ、ああ…。」  早駆けの指示に、ソロモンはうなずいた。 「えぇぇぇぇぇい!」  まりかは公衆便所の瓦礫を拾い上げると、それをソロモンに投げつけた。  しかしその攻撃はソロモンに何のダメージを与えることはなかった。 「グフ?」 「あ、ぁぁぁぁ…。」  自分の無力さをあらためて知ったまりかだった。 「グォォォォォォ! これで終わりだ!」  ソロモンは機関砲の引き金を引いた。弾丸の豪雨がまりかを襲う。 『死にたくない!』  まりかの意識はその一点に集約されていた。意識は行動となってあらわれる。  「死にたくない」この意識で普通取られる行動は「逃げる」「防ぐ」といった二種類の抵抗である。  しかし、今まりかは弾丸という抵抗しようのない暴力にさらされていた。 「何!?」  ソロモン達は我が目を疑った。 「し、死んでないの…。」  疑問はまりかにしても同様であった。そして次の瞬間、まりかは自分の眼前に浮かぶ、無数の弾丸を認めた。 「これって…機関銃の弾…浮いているの…?」 「な、なんだありゃ!?」 「わ、わからねぇよ!」  早駆けと日の丸は困惑した。弾丸はすべてが地面に落下し、その目的を果たすことは出来なかった。 「くそぅ!」  ソロモンは機関砲を抱えたまま、まりか目がけて飛びかかった。 「うぁぁ!」  まりかは本能的に、意識を集中させた。そして次の瞬間。 「グホァァァァァァァァァァァァァァァァァァア!」  飛びかかったソロモンは、見えざる力で空中に放り投げられると、日の丸の上に落下した。 「グファ!」  ソロモンと日の丸。二人の怪人物はその戦闘力を奪われ、意識を失った。 「な、なにか…力が…力が…。」  まりかは今までにない力の存在を認めつつあった。そしてソロモンと日の丸の体は、あぶくを立てながら消滅した。 「あ、泡になった…。」 「こいつの能力、オルガと同じだ…選ばれた能力…。」 「え…?」  早駆けのつぶやきを、まりかは聞き逃さなかった。 「しかしここで帰ったら殺されちまう…証拠は残るが仕方ねぇ!」  早駆けはナイフを取り出すとそれを構えた。 「てぇぇぇぇぇぇい!」  ナイフを突き立てて迫ってくる早駆けから、まりかは視線をそらさなかった。  刃物に対する恐怖はあるはずだった。しかしそれに勝る力を彼女は手に入れ、そしてそれを認識していた。 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」  まりかの叫びに呼応する様に、公衆便所の瓦礫が数十個、早駆けめがけて高速で激突した。 「グハァ!」  全身から血を吹き出しながら、早駆けは地面に倒れた。 「はぁはぁはぁはぁはぁ…。」  平常心であれば、これまでの光景はとても正視できるものではなかった。  しかし、死の恐怖と能力の発現を確信していたまりかは、呼吸を整えると瀕死の早駆けに歩み寄った。 「や、やはりその能力…オルガと同じ、念動力…。」 「念動力…?」 「くそ…こんなところで…死にたくねぇよ…。」  早駆けのつぶやきは、まりかの胸を貫いた。 「死…死んじゃうの…。」  早駆けの体はソロモン達と同様、泡となって消滅した。 「わ、わたしがやったのよね…わたしが…。」  まりかの耳に、パトカーのサイレンが鳴り響いた。彼女は冷静な判断をする間もなく、公園から駆け出した。 [三・真実の人] …1  帰宅したまりかがまず見たものは、数名の警官と刑事の背中と、それに応対する父博人の姿であった。 「まりか!」  父は叫ぶとまりかに走り寄った。 「まりか、無事だったのか! よかった!」  博人は涙を浮かべながら、まりかを抱きしめた。 「う、うん…なんとか逃げられたの…。」 「そうかそうか!」  何故嘘をついてしまったのか、まりかには解らなかった。  ただ父の抱擁によって、自分の得た新しい力が、するすると抜けていく様な気がした。 「ちょっといいですかねぇ。」  中年の刑事とおぼしき男性が、父と娘の再会を中断させた。 「あ…刑事さん?」  その男は疲れた表情を浮かべたまま、まりかを観察した。  身につけているよれたトレンチコートは、彼の職業を想像させるのになんら苦労を強いらなかった。 「刑事じゃありません…まぁ似たようなもんですけど。」  そう言うと男はポケットから免許証のようなIDカードを取り出した。カードには。 「内閣特務調査室次官代行・戸倉晋丞」と書いてあった。 「内閣…。」  高校生であるまりかにとって、内閣以後の単語は、とても理解しうるものでは無かった。 「ええ、この一件を担当していましてね。  概ねの事情はいま聴取したんですが…。」 「あ、はい。」 「まりか!」 「まりか姉!」  母と妹がまりかに向かって駆けてきた。 「母さん…。」  永美はまりかを、夫と同じ様に抱きしめた。 「よかった! 無事だったのね!」 「う、うん…。」  まりかが居間から飛び出した行動は、永美と博人にとって不可解なものではあった。  しかしいまは娘が無事に帰ってきたという正の感情が、疑問を打ち消していた。 「おとり込み中大変申し訳ない…。」 「あ、はい。」  戸倉に促された母は、感情を押さえまりかから離れた。 「まりかさん…ですか?」 「は、はい。」 「家から出た後…どうなさいましたか?」 「あ、ええ、とりあえず交番に行こうと思って…。」 「はい。」 「でも…交番も壊されて…。」 「なるほど。」 「それで、公園に逃げたんです。」 「公園って…。」 「三宮公園です。」 「あぁはいはい。」 「…。」  明確な嘘もつけないまりかは、それ以上を語ろうとしなかった。 「はぁ、それでここに戻ってきたんですね。」 「そうです。」 「わかりました。で、失礼ですけどその三人組、  何か心当たりがあるんでしたら…教えて頂けませんか?」  戸倉の語調はあくまでも柔らかいものであった。 「心当たりなんてありません!」  まりかは強く否定した。 「そりゃぁそうでしょうなぁ…。」 「…。」 「…わかりました。また改めてお邪魔しますんで、今日はこの辺で…。」 「どうもお世話かけます。」  博人は頭を下げた。戸倉は若い警官を促すと、まりかの家を後にした。 「ふぅ…それにしても無事でよかった。」  父は娘の無事な姿をあらためて確認すると、両眼に涙を浮かべた。 「う、うん…。」 「戸倉さんの話だと、ウチを襲った連中、どうやら工場放火犯らしいんだ。」 「そ、そうなんだ…。」  まりかは父の言葉に気まずく返事をすると、玄関に向かって歩き出した。 『あいつら死んじゃったのって…わかるのかしら…。』  戸倉と警官達は三宮公園にやってきた。公園には民間通報を受けた別の警官達が、現場検証をしている最中であった。 「ここっスか。」 「ああ。」 「うわ、ありゃ派手にブッ壊れてるなぁ…  武藤まりかの話だと、ここで犯人の足取りが途絶えたそうですね。」 「話ね…。」  戸倉は若い警官の言葉に、つまらなそうにつぶやいた。 「は?」 「いや…。」  警官の疑問に、だが戸倉は答えなかった。 『武藤まりかは明らかに虚言をしている…  だがどうにもわからんな…あの娘、T資本にからんでるとも思えんし。』 …2  翌日、博人が手配した大工達は、破壊された玄関を手際よく修理していた。 「…。」  目覚めたまりかは数分ほど思考を巡らすと、かけてある上着のポケットから祖母のお守りを取り出した。  ベッドに腰掛けたまりかは、お守りを握りしめると昨晩の様に意識を集中させた。 「動く…。」  机が振動を始め、机上の本や筆記用具が床に落ちた。まりかは昨晩発現した得体の知れない力の存在を、あらためて認識した。 「夢じゃない… 手も触れずに物を動かせる。」  まりかは意識の高揚を感じていた。 「これって恵子の言ってた超能力ってやつよね! すごいわ!」  しかし高揚の後、まりかは軽い頭痛に襲われた。 「つ…でも考え過ぎちゃうから頭が痛くなるんだ…きっと。」  まりかはベッドから立ち上がると、窓から玄関の修理を眺めた。 「内緒にしておこう…この力も、昨日のことも…。」  理由は明確な理論とはなっていない。しかしまりかは本能的にそう感じた。 「おはよう。」  私服に着替えたまりかは、一階の食堂に降りてきた。 「おはようまりか。」 「おっはよー!」  食堂ではまりかを除く家族全員が、朝食を採っていた。 「大工さん来てるんだ。」 「ああ、保険が降りるの待ってたら、お客さんも呼べないからな。」  博人はそう返事をした。 「それにしても…昨日のは一体何だったんでしょうね。」  永美は誰ともなく尋ねた。 「戸倉さんが言ってたよ、例のテロリストじゃないかって。」 「でもわたしが見たの…毛むくじゃらでとても人間には見えなかったわ。」 「僕は見てないから何とも言えないけど…お、新聞にも出てるぞ。」 「見せて。」  まりかは父から新聞を受け取った。 「連続爆破テロ、民家を襲撃…渋谷区代々木武藤さん…  あは、うちのことだね。」 「うん、こんなので新聞に載るのは嫌だけどね。」 「現在犯人は逃走中であり、懸命の捜査が続けられている…か。」 「何でウチを襲ったのかしら。」 「さぁてな…犯人はウチって…。」 「武藤さんですか? て、尋ねたもの。」 「そうか。」  永美の証言に、博人は思考を巡らせた。 「僕に心当たりはないんだけどなぁ…。」 「そりゃそうでしょ。テロリストに恨みを買うような仕事、  あなたしてないでしょ。」 「まぁね。」  父母のやりとりを、まりかは余裕の気持ちで聞いていた。 『うふふ…やっつけたからなぁ、もう平気よ。』  しかしまりかのその発想は、あまりにも浅はかなものであった。 …3  伊豆の南端よりはるか二百キロ、十五年前に地殻変動のため浮上した鹿妻新島。  住民わずか百二十名、その大半が漁業により生計を立てている、典型的な離島である。  あまり広くもないこの土地に、産業新興を名目に五年前、レジャーランドの建設が外資形企業によりスタートした。  しかし計画は世界的不況を理由に三年前中断、建設途中の施設はそのまま放置された。その地下二十メートル…。 「なぜ切符爆弾爆発のニュースが流れんのだ!」  極彩色に彩られた壁、木製で統一された備品。壁に飾られた名画の贋作の数々。  そして数十台のモニターには様々なテレビ番組が映っていた。その悪趣味の一語につきる部屋で、一人の中年男性が声を荒げていた。 「は! 作戦遂行の任についておりました工作員二名、  そして獣人一名は依然連絡が途絶えたままであります。真実の人。」  小柄な体躯をスーツで包み、眼光をサングラスで隠した真実の人。  薄い眉は神経質そうな人柄を感じさせ、一種独特の威圧感を備えていた。  報告する男は早駆け達と同様の黒ずくめにストッキング状の物で顔を覆っている。 「捜索を続けろ! 特に改造券売機の所在を確かめるのだ!」 「了解!」  報告者は一礼をすると、悪趣味な部屋から急ぎ足で退出した。 「ふぅ…。」  真実の人は一息つくと、椅子に深々と腰掛け、新聞を手にした。 「三人は何をやっとるのだ…作戦が成功してもおらんのに、  民家、交番を襲撃するなどと…。」 「真実の人。」 「フランソワか、入りたまえ。」  フランソワと呼ばれた白人女性が、部屋に入室してきた。その小脇には数冊の書類入れを抱えている。 「工作員達の行方が判明しました。」 「おぉそうか。」  笑みを浮かべると、真実の人は椅子から身を乗り出した。 「管理班の報告によると、工作員三十二、五十一号、  獣人ソロモンの生命反応は、先日八時三十五分過ぎより  途絶えたままとのことです。」  フランソワは顔色一つ変えずに報告した。 「君の報告は常に正確だったな。」 「ありがとうございます真実の人。」 「しかーし! 納得がいかーん!」  真実の人は声を荒げると、椅子から立ち上がった。 「新聞を読んでもそんな事件は載っとらん! 大新聞にだぞ!  ニュースでもやっとらん!」 「はい。三名は国家権力以外の何者かによって、  その生命を絶たれたものと思われます。」 「だろうな! あいつらは自分の手柄を隠したりはせん!」 「はい。」  フランソワは真実の人の怒気に反応もせず、形のいい目を伏せた。 「何者とは何者なのだ?」 「わかりません。ただし…工作員三十二号から  最後に入った報告によりますと、切符爆弾作戦のテストを目撃され、  その目撃者の抹殺に向かったとのことで…。」 「そいつにやられたのか!?」 「恐らく。」 「目撃者か…二人の工作員はともかく、  ソロモンは改造人間だぞ、並の方法では殺すことはできん。」 「はい。」 「誰なんだ?」 「はい。報告によると目撃者は武藤まりか。  公立高校に通う女子学生だそうです。」 「女子…学生だとぉ?」  真実の人は陰湿なる視線を金髪の白人女性にぶつけた。 「はい。」 「まさか… 茨の仲間か?」 「それはありません。調査の結果、この少女の家庭は極めてノーマル。  我々の対抗勢力とは何の関係もありません。」 「ふむぅ…。」  その深い思考を、真実の人は高速でフル回転させた。 「考えられうる可能性は三つあります。」 「一つは事故による死亡。」  フランソワの言葉に続ける様に、真実の人はつぶやいた。 「はい。」 「一つは裏切りによる自殺。」 「はい。」 「残りの一つは… 女子学生が三人を倒すことのできる存在…。」 「ええ…。」 「むぅ…。」  自分で言ってみたものの、最後の可能性を否定したい真実の人であった。 「しかし、我々の計画を目撃した以上、  この武藤まりかという娘は抹殺せねばならんな!」 「はい。」 「工作員を大至急差し向けろ。よいな。」 「了解…真実の人。」 「なんだ?」 「抹殺するのは武藤まりかのみでよろしいのですか?」 「情報が漏れておれば、知った者すべてを抹殺せよ!」 「は!」  フランソワは一礼すると、真実の人の部屋を後にした。 …つづく